
FHSWへ日本初の4発大型機の実装のお知らせです!
圧倒的な存在感と時代の最先端をゆく性能、期待された将来から一転して悲劇的な戦史
そして戦後の国産航空機開発へとつながってゆく重要な機体、二式大艇のご紹介です。
■川西 H8K 二式大艇
□Kawanishi H8K "Emily" Flying Boat
戦間期の日本海軍の戦略思想は、主力艦による艦隊同士の決戦により雌雄を決するというものでしたが
このためには敵艦隊の動向を長距離哨戒によって明らかにする必要があり、そのための機材として有望視されたのが飛行艇でした。
艦載の単発偵察機では遥かに及ばない超長距離かつ長時間の哨戒飛行を可能にするため最低でも双発以上の機体が望まれ、
昭和4年の初の国産飛行艇 15式飛行艇を皮切りに、5年の短期間のうちに4機の習作を制式にしますが期待に沿うものではなく
これらを踏まえた昭和11年の97式飛行艇の成功をみて飛行艇技術は一定の完成を見ますが、海軍は更なる高性能機を望みました。
なまじ97式飛行艇が想像以上の好成績を残したため、それまで要求されてはいたものの、カタログスペック上の項目に過ぎなかった
爆弾や爆雷、魚雷の運用能力を本格的に戦力として実用したいという意向が強くなってゆきます。
かくして後継機である13試大型飛行艇、後の二式大艇は「四発大型攻撃飛行艇」として、武装搭載量2トン、20mm機銃5挺など
水上機であること以外は同時に提出された13試陸上攻撃機こと後の深山とまったく同一の要求仕様が設定されていました。
つまり海軍は、二式大艇を97式飛行艇よりも更に本格的な対艦攻撃手段、そして陸上攻撃機の代役として期待して見ていたわけです。
それでは細部を見ていきましょう。
抵抗を減らすため限界まで細く、その分減った容積を稼ぐため背高に作られた胴体が目を引きます。
機首に搭載された3式空6号電探の空中線(アンテナ)でお分かりのとおり、航空機としては稀有な対水上レーダーを装備しており
敵艦や下方の敵機、更には敵潜水艦すらをも感知することが出来ます。
胴体前後と左右、そして上部には20mmの99式1号または2号銃が備えられ、ほぼすべての方位に対して強烈な防御砲火を指向できますが、
飛行艇である以上どうしても底部に銃座を設けることが出来ず、そこが死角になってしまうことだけが弱点です。
史実では尾部底面に7.7mm機銃を据える予備銃座を備えていましたが、操縦士たちはこれに頼るよりは海面スレスレを飛び死角を消すことを常としたようです。

巨大な主翼に懸吊される爆弾類は800kg爆弾を2発、250kgを8発、60kgの小型爆弾なら16発を携行し、さらに魚雷2本を運ぶことが可能でした。
魚雷に干渉せぬよう半円に切られたフラップが特徴的です。爆撃はともかく雷撃はこのような大型機で実際に行われることはなかったようですが、
FHSWにおいてはまったく可能です。重防御で敵戦闘機の迎撃を跳ね除けつつ必殺の魚雷を絶好の射点まで配達することができるでしょう。

巨大な機体で得た長大な航続距離と圧倒的な貨物搭載量を武器に、配備後はむしろ海軍の夢見た攻撃機ではなく本来の哨戒機や輸送機として太平洋狭しと駆け回り
単発戦闘機は分が悪いとは言え、B-17ぐらいであればそこまで恐れることもなく、むしろ同じ飛行艇であるPBYカタリナなどは見つけ次第追い回したほどの本機でしたが
連合軍の航空優勢は如何ともしがたく、もはや安全でない地域へも、この機の航続距離でなければ到達できないなどの理由で出撃せざるを得ないことが重なり
いかな高火力の重防御砲火といえど損害は避けられず、現在では世界でもただ1機が九州に保存されているだけに留まります。

FHSWにおいては日本にとって待望の重爆撃機枠の航空戦力として爆弾と機関砲弾を存分に撒き散らしてくれることでしょう。
各種の爆装タイプに雷装型、空挺母機、そして対潜哨戒機としてのバリエーションが用意されており、活躍の可能性は無限大です。
今こそその翼に日を乗せて、夜明けのかなたまで飛ぶときです!
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