
敵機に強力な一撃をお見舞いする重高射砲も頼もしいけれど、それよりもひたすら対空弾幕を張りたい!
今回は、そんな高射砲兵にお勧めの対空車両をご紹介しましょう。
IV号対空戦車ヴィルベルヴィント
FlakpanzerIV "Wirbelwind"
1943年12月、急造品であったIV号対空戦車メーベルワーゲンの後継として、
4連装の20mm Flak38をIV号戦車に搭載した車両の開発がスタートします。
1944年5月には依頼を受けたオストバウ社によって試作車が完成し、
ドイツ語で「つむじ風」を意味するヴィルベルヴィントの名が与えられ、IV号対空戦車として制式採用されました。
砲塔は16mmの装甲板を溶接して製造され、対空砲の可動域と干渉する部分は取り除かれています。
生産は、前線から修理のために引き抜かれたIV号戦車を改造する形で行われ、
1944年7月から1945年3月にかけて122両が製造されたと言われています。
部隊配備は1944年9月から始まり、主に制空権を失いつつあった西部戦線において防空の任に就きました。



T95GMCに引き続き、公式拡張パック「シークレットウェポン」に登場した対空戦車が、再びFHSWで蘇ります!
同じくIV号戦車をベースとした対空車両であるオストヴィントと比較すると、対空砲1門あたりの威力は劣りますが、
4連装という手数を考慮するならば、敵機にとって脅威となる車両であるのは間違いないでしょう。
照準器は設置型4連装Flak38と同様のものが装備されており、これを用いて射撃する他に、F9キーを押して視点を切り替え、
砲塔から身を乗り出して索敵や射撃を行う事も可能になっています。


車体部はIV号戦車を流用したため、ある程度の防御性能を持っていますが、
砲塔の防御は小火器のみに有効であると考えた方が良いでしょう。
敵戦車を避け、航空機や敵歩兵に対して火力を発揮できる地形で戦うことが、陣営を勝利に導く上で重要となりそうです。



T77自走対空砲
T77 MGMC
大戦中、米軍はM16自走対空砲などの半装軌車をベースとする対空車両を開発しましたが、
それらの計画と並行して、軽戦車をベースとした自走対空砲の開発も進められていました。
当初はM5軽戦車を元とした自走対空砲が開発されていましたが、M24軽戦車の開発が一定の目途に達したことから、
このM24を様々な自走砲のベースとして活用し、効率的に運用する「ライト・コンバット・チーム」構想がまとまります。
1943年7月、米軍の兵器技術委員会はM24軽戦車をベースとし、12.7mm重機関銃を4門搭載した自走対空砲の開発を勧告します。
この車両の開発はユナイテッド・シュー・マシナリー社と米空軍によって進められ、T77の試作名称が与えられました。
同年12月には武装の調査が行われ、搭載される重機関銃を4門から6門に増やす事が決定されました。
このような経緯もあり、M24軽戦車の砲塔はそのまま流用されず、武装に合わせて新たに設計し直されています。
1944年4月には2両の試作車製作が承認され、10月に重機関銃の取り付けと射撃試験が行われました。
1両目の試作車が完成したのは1945年7月で、この車両はアバディーン性能試験場に移され、様々なテストを受けました。
2両目の試作車では火器管制装置が改良され、コンピュータによる目標選択とベクトル照準器が搭載されており、
こちらはT77E1の試作名称が割り振られています。
しかしながら、終戦後に主力となったジェット機に対応する事が難しかったため、本車両は量産に移される事は無く、
残された試作車は新型兵器の試験に用いられました。
同様の開発背景から成功を収めたのはM19自走対空砲で、こちらは1944年8月に正式採用され、約300両が生産されました。
構造としては、オープントップ式の砲塔にボフォース製の40mm対空機関砲を2門搭載しています。



T77自走対空砲は12.7mm機関銃を6門搭載した、FHSWの中でも異色の対空車両です。
M24軽戦車から引き継がれた軽快な機動性とM2ブローニングが持つ火力の相乗効果は、他の対空戦車とは一線を画しています。
この車両の前では、装甲の薄い航空機や軽戦車は狩る側から狩られる側へと回らざるを得ないでしょう。
敵歩兵に対しては血も涙もない火力投射が可能で、射線上に存在する軟目標を跡形もなく消し去る事ができます。



砲手は砲塔上部に張り出した半球状のドームから狙いを定める構造であるため、
他の対空車両と比較して広く視界をとれる事も、この車両の持つ長所の一つです。
しかしながら、砲塔の装甲は15mmであるため、強力な火力を持つ敵の前には飛び出さない方が良いでしょう。

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