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牽引システムの実装で活性化された砲兵へ新たな装備が追加されます。
FHSWオリジナルモデルでは初となる150mm級野戦重砲、九六式十五糎榴弾砲の実装です。

日本軍と聞くと、貧弱な機甲力や薄弱な補給ばかりが槍玉に挙げられますが、実際は軍の機械化、特に砲兵の機械化をかなりの初期から目指していた先進国でありました。
国土的に強力な挽馬を産出できず、諸外国のように重砲を馬で挽き回すことができなかったために早くから砲兵トラクターが発達したのです。
戦略的要求や資源の振り分けの方針から、結局諸外国のような大規模機械化砲兵などは整備できず終いでしたが、兵器単体としては相当のポテンシャルを秘めていました。



重砲を砲兵トラクターで牽引することは、馬でのそれとの違いがいくつか出てきます。馬での牽引が速くても時速10km/hを超えないのに対し、自動車牽引では時速50kmを
超えることも少なくありません。高速牽引では砲へ掛かる衝撃もそれだけ大きくなり、砲架構造を頑丈にしなければなりませんので、ますます重量は増えてしまいます。
つまり馬で牽く火砲は自動車では強度が不足し、自動車で引く火砲は重すぎて馬では牽引できないのです。軽量かつ頑丈な構造であれば両者での牽引が可能なものも
理論上は設計でき、そのような仕様で製造された火砲も世界には数多ありますが、この九六式十五糎榴弾砲もまた、開発当初は馬でも自動車でも牽引できることが
要求されていました。既存の四年式十五糎榴弾砲の更新として大正9年(1920年)より新15榴の名称で設計が始まりましたが、経費がつかず試作もできなかったうえ、
折しも大正12年の関東大震災により関連資料が焼失してしまい、うやむやのまま計画のみにて立ち消えになってしまいました。

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震災後の復興もあらかた落ち着いた大正15年、改めて四年式より一層威力を増大した新野戦榴弾砲の開発が始まります。再度制定された仕様は一段と高度になっており
最大射程は短いと不満の多かった四年式の8800mに比べ12000mへ増加、方向射界がWW1を引きずる6度から一挙に30度、この辺は時代から見ても突飛ではないですが、
問題は先の焼失した新15榴計画案でも盛り込まれていた「馬と自動車両方で牽く」という要求です。
先述しましたように両方で牽引可能にするには砲の構造を頑丈かつ軽くせねばならず、特に今回の要求では射程の延長まで求められているので発射時の反動も強烈です。
案の定、大正15年完成の試作砲の重量は4tにも達し、馬での牽引は適さなくなってしまいました。重い重いと不満のあった四年式でも設置状態で2トン強、それでも
2つに分解して牽引していましたから、誰がどこからどう見ても明らかに重量過大であったわけです。設計や製造法の洗練により軽量化が試みられましたが結果は芳しくなく、
この失敗は結局、開発の方向性を自動車牽引のみへスイッチしていく転換点になりました。


しかし技術本部などによって作られる協議会により、まずは四年式に範をとった2車分解式の牽引を研究することになり、分解せず牽引できる型は後回しとされてしまいます。
この分解式の新15榴は試製九二式の名前が付いており、昭和8年(1933年)の末に完成しました。しかし試験の結果から砲架強度不足や分解結合が容易でないと分かり、
さらに、この時期にはようやく実用的な重砲用の牽引車が登場し始め、反面牽引に使える馬の調達が年々困難になっていたことから、昭和9年に改めて設計を1からやり直し、
馬には全く依存しない完全なる機械牽引専用砲として開発されました。

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昭和10~12年にかけ日本各地と満州にて試作砲の試験が行われ、「四年式に比して射撃や牽引時の安定性が良好であり射撃準備も迅速に行え、操砲照準操作も軽快、
全機能において良好である」との判決をもらい、早くも昭和12年のうちに仮制式にされましたが、本採用される前に支那事変が勃発、実地試験もかねて完成していた8門全てを
現地へ急送したところ、ここでも威力抜群であるとの評価を貰い、かくして翌13年に九六式十五糎榴弾砲としてめでたく本採用されました。
試製九二式の試作から僅か3年足らずで新規設計し完成した物としては完成度は驚くほど高いものであり、各部の細かな工夫も大正年間の新15榴時代から続けられてきた
研究改良の結果であるといえます。例えば、牽引時の衝撃を緩和するため車軸には板バネをつけ、逆に射撃のときは動揺の元になるため固定する機能を持たせました。
国産重砲としては初の機能であり、前線からも好評であったと伝えられています。砲身の製造も新たな手法が用いられており、射程が長くなれば通常は低下する射撃精度も
むしろ大きく向上していたといいます。他国の同種の野砲に比べ大仰角でも射撃が行なえ、なんと臼砲並みの仰角60度でも射撃が可能であり、これを鹵獲した米軍将校が
それを知り驚いたという話も残っています。

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弾薬もこの砲のため新たに研究開発され、それまでの同口径弾薬よりさらに2割ほど炸薬を増した九六式榴弾が用意されました。なお、同じ口径の四年式はもとより、
九二式10cm加農砲の砲弾も、砲弾に付属する弾帯と呼ばれる金属ベルトを交換すれば使用可能でありました。
この砲の弾薬を運搬するために専用の弾薬車も整備され、弾薬車1つあたり12発の砲弾と発射薬を搭載できました。通常は砲とは別に2両または3両を連結したものを編成し、
砲車列と1対1で運用されたようです。こちらは切り離すことは出来ませんが、砲兵への弾薬運搬にはトラックよりもグッと雰囲気が出るでしょう。

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さて、かくのごとく砲兵装備を充実させていく途上である以上、どうしてもどの国から先に追加するかという優先順位が生じてしまいます。
今回日本の九六式十五糎を選んだのはちょうど詳しい資料が手に入ったこと、かつなによりも、日本には38式75mm以上の重砲がなかったためです。
他の国についても随時配備していきたいつもりですが、今回マップの調整上、バランスの都合からどうしても代理を用意せねばならないということで
赤軍のB-4とBr-5、フランスのmle1917 155mm榴弾砲を各国鹵獲バージョンとして用意いたしました。B-4とBr-5はドイツ軍へそれぞれ「20.3cm H503(r)」、「28cm H607(r)」
の名前を付けられ、mle1917はアメリカは「155mmM1917A4」、ドイツが「sFH414(f)」、イタリアが「Obice da 155/14PB」、フィンランド「152 H/17」という名前で用意しています。
マイナーなところでは、「イタリアが鹵獲したmle1917を独軍へ供与したもの」は、直接独軍が鹵獲したそれとはまた別な「sFH414(i)」で用意されているこだわり様です。
WW1以来の古参兵であるこのフランスのmle1917はWW2でもなお世界各国で使用されており、米軍にいたっては155mmM1榴弾砲が登場するまでは正式採用されていました。


今回のモデル製作にあたりましては東京の靖国神社にある実物を取材調査し、かつ「アジア歴史資料センター」にて公開されています「九六式十五糎榴弾砲取扱法」の
各部図面や記述を参考することができ、より精密な仕上がりとなっているかと存じます。この「アジ歴」は旧軍の貴重な図面や文献がネット上に多数公開されている
とても興味深いサイトで、開発陣も「ネットでこんな文献が参照できるなんて、いい時代になったなあ」とただただ感心する次第ですw

以下はオマケ、モデラーのChi-ha氏が製作中に進捗状況報告にと用意したSSです。
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